■ ヒカリシエ ■

■ 1 迷い道 ■

 とにかくその店を見つけたとき、藁にもすがる思いで扉をあけた。
 あたりはもう、真っ暗も真っ暗。黒に塗り尽くされたような中で、どこもかしこも「しん」としていて、灯りがともっているのは――そこだけだったのだ。
 おお、救世主よ。
 店の主がどんなヤクザでも頑固親父でもパンチパーマをかけたオバチャンでも、耐えて笑顔で尋ねよう。
 戻る道を。
 わたしは迷っていた。

     ☆

 カロン、古びた鐘が打ち付ける、無音の店内。
 どうやらここは洋菓子店のようで。
 正面にはショウケース。その奥の、ガラス窓を隔てた向こうには、白く大きな作業台がライトに照らされていた。
 人の気配はどこにもなく、私は右に視線をずらす。
 イートインスペースかな? 小さなテーブルと椅子がある。けれど、椅子の上にも机の上にも埃がうっすら積もっていて、長く使われていないようだった。
 ショウケースまでそろそろと近づく。
 けれど、このショウケース、全体的に濃いサングラス色をしていて中身がよく見えない。
「ごめんくださーい……」
 思わず小声。
 勇気をふりしぼって、もう少し、はりあげた。
「ごめんくださいあのー! すいませーん」
 と。
 奥からドタドタ足音が響いた。出てきたのは、パティシエの格好をしたちっちゃな女の子。勢いよくお辞儀したかと思うと、パッと顔をかがやかせて大声。
「いらっしゃいませ! よーこそヒカリシエへ!」
 驚いた。
 その色。
 服こそ真白だけれど、肌は小麦色を通り越して焦げた赤茶、瞳は鮮やかなエメラルドグリーン、唇はプールからあがった直後のように紫で、ざくっと切られた髪の毛は、まぶしいくらいの銀色。
 人間じゃぁ、ないみたい。
 けれど、驚いたのはわたしだけじゃなかった。
「ウソ…人間……?!」
「え、」
「ちょっとテル兄ィやばいよ! 人間のお客様がきたよッ!! なにこれ奇跡、チョーミラクル!」
 少女が後ろにむかって大声で叫ぶと、また奥からドタドタ足音がして、細身の男の人が出てきた。
 こちらは普通の肌色をしていて、まんま日本人。けれど、服こそパティシエだけれど、一歩間違えれば上級のチンピラか、もしくは過去を隠して板前なんかやってそうな顔……。
 ドン引いた。
 けれど、ドン引いたのはわたしだけじゃないらしく、男の人は眉間にシワを寄せながら少女の頭をバシリと叩いた。
「――いたッ!」
「おい、あんドーナツ。テンション上がりまくった俺のエネルギーを返せ」
 あんドーナツ?
「やだよ! なに勘違いしてたのさ。あっ、あたし――安藤夏っていいますお姉さん。こっちは輝希」
「……いらっしゃい」
 デコボココンビといった風情のふたり。っていうか、あんドーナツて。一瞬食べ物かと思っちゃった。
「いえ、あの、こんな夜中にすみません。わたしはー…」
 あれ?
「わたし、」
 名前を思い出せない。
 なんだろう。
 やだ、わたし。
 すごいド忘れ。
「あー、えーっとあの、わたしー…、とにかく迷ってしまって。それで、ここが光ってて、えと、道を教えてほしくて――」
 しどろもどろになりながら説明している途中で、カロン、と音が鳴った。別なお客がきたみたい。
 私は避けようと後ろを振り返っ……
「ヒッ!?」
 そこには、奇妙な生き物が浮いていた。
 ブクリと不気味に丸い生き物。ペールグリーンのその物体から、赤い耳のようなものが飛び出ている。真ん中に目だけがあって、鼻も口もない。その下に、タワシがくっついたような……足(?)がある。
「誰よこの子。新顔?」
 うわ、喋った!
「いらっしゃいませダンボオクトパスさん! いーえぇー、なんか迷って入ってきちゃったみたいでー、いつもの?」
「そ、3時のこもれびと、虹のかけらを2個ずつね。アーラてるちゃんお久し。来年の新作、楽しみにしてるから」
「ありがとうございます。励みになります」
「いいのよォー、世話になってるのはアタシ達なんだから」
 薄暗いショウケースから取り出されたのは、葉っぱの形をした金色のサブレと虹を模した弓型のオペラだった。やっぱり洋菓子店だったのだ。お菓子を作っているとは到底思えない「なり」のふたりだけれど。
 箱に入れるまでの間、サブレとオペラはその輪郭からキラキラと光を放ち続ける。
 幻覚?
 わたしは目を細め、もっとよく見ようとした。
 キラキラ。
 チカチカ。
 お菓子が光るなんて、幻覚じゃなかったらわたし、よっぽどお腹が空いてるのかも。そういうときって食べ物が、光を放つように見えるもの。
 少女……夏ちゃんが、お菓子を入れた黒い箱を軽く放り投げると、ふわんと浮いたそれを手際よく足(?)でキャッチし、その生物はUターンして扉へ向かった。
 外に広がる闇の中へ、やがてまるごと溶けていく。カロン。

■ 2 帰る場所 ■

「……あの、今のってー…」
「お客様ですよぉ?」
「常連客だ」
 二人は即答し、私は何も言えず、しばし沈黙。
 数秒後、輝希さんが「あんドーナツ、説明は任せた。寝る」と大あくび。私をチラチと見てから、どうぞごゆっくりと言い店の奥へ消えた。
「テル兄ってばホンっト、お菓子以外のコト面倒くさがるんだから……。ね、お姉さん。何から聞きたい? なんでも答えてあげる」
 聞きたいこと。
「でも……」
「あはは、いーのいーの。お姉さん、言っちゃあなんだけど、聞きたそうな顔してるもん」
 あるっちゃあるけど、色々ありすぎてわたしの頭がパンクしそう。
「あの、二人って兄妹……」
「違いますよぉ。あたしがムリ言って、テル兄をここに連れてきたんだ。上から。テル兄の作るお菓子はホンモノだからさー」
「あの、今のって……」
「お客様ですよぉ。この店は、光を売る店だから。ああいうお客様がメインなんでー、人間のお客様って初めてでー、」
「だって、あの、浮いて」
「そりゃ普通浮きますよぉ。バリバリ浮力あるじゃないですかココー」
 ニコニコしながら答えてくれるのは良いんだけど、なんだかいまいちピンとこない。
 そもそも、わたしは迷っているのだ。
 道を尋るために入ったのだ。
 と、いう当初の目的を思い出すまでにかなり時間がかかった。この子ならきっと、あははと笑って案内してくれるだろう。もしくは輝希さんなら、無愛想に地図だけ放り投げてよこすかな。
「聞いていい?」
「うん、だから、何でもドーゾ?」
「あのね、わたし、道に迷っててー…」
「どこに?」
「え、」
 急に、真顔。
「どこに帰れるの? 上に? そんな体で?」
「――、え??」
 夏ちゃんは目の前まで来ると、つま先立ちでわたしの肩に触った。とたんにボロっと、何かが取れる感触。見て、と茶色い指をわたしにかざす。つままれた、ふやけた白いモノがヒラヒラと舞った。
 皮、だ。
 腐食し、粉々になった小さな肉片が、静かに剥げ落ちた。
「深層水の循環に乗って、こんな深海まできちゃって。もうボロボロだ、」
「わたし?」
「そう。ゴメンねお姉さん。あたしにあてられて、死体なのに。喋らせちゃって」
「死体ー…」
 海、に。
 棄てられる瞬間、気を失ってたはずの意識が、確かに戻った。
 あれは。……あれはわたしの好きな人だった。
 お酒におぼれて、暴力を繰り返して、薬を売って、ヤクザにつかまって、借金して、追い詰められて。そして。わたしを差し出して。
 でも。
 好きだった、本当にそうだったのかな、意地で別れなかっただけじゃない? なんて、今さら考えてみても結果がこう。口じゃ言えない事をたくさんたくさんさせられて、どうしようもなく利用されて、使えなくなったら、ドボン。
 この店を見つけたとき、救世主だと思ったんだ。
 帰る場所なんて最初からなかったけど、これで助かるって、わたし、心から思ったよ。
「お姉さん、ホントごめん。あたし神様じゃなくてボランティア好きのただの宇宙人だから、お姉さんのこと救えないし、道も教えられないの。でもお菓子、ひとつ選んで?」
「いいの?」
「いーのいーの、サービス。テル兄はホンモノだよ。テル兄の作るお菓子は、上の光がいーッぱい入ってるから。深海中で大評判なんだよぉ!」
 サングラス色のショウケースを眺める。
 目が慣れてくると、均等に並べられているお菓子達とプライスカードがぼんやりとうかんできた。カードには、お菓子の名前だけが大きく書かれている。
 星屑の散歩。虹のかけら。入道雲の夏。3時のこもれび。月を夜にのせて……。
 わたしは迷ったあげく、古い懐中電灯、という名の、ドーム型のケーキを選んだ。中はミルフィーユらしい。
 夏ちゃんが手早くケーキを取り出す。やっぱりほのかに光っている。
「ね、お姉さん。ウチは普段は黒い箱に入れてるんだけど、お姉さんのお菓子は特別に、透明なケースに入れてあげるね。いやなら箱から出して? 光がとけるから」
 どういう意味か、すぐに分かってしまった。
 道はないけど、場所ならある。
 そういうことだ。
「ありがとう。えっと、夏ちゃん」
「んーん、あんドーナツって呼んで」
 テル兄が付けてくれたんだけど、意外と気に入っててさ、と夏ちゃんは笑った。
「バイバイ。お姉さん」

     ☆

 カロン、暗闇の中へ、私は光を持って逝く。
 適当な砂地を見つけて横たわり、箱の中の光をぼんやり見ていると、あっという間に魚たちが集まってきた。奇妙な形に極彩色の、たくさんの深海魚たち。
 口々に美味しいとささやく。
 痛みはまったくなくて、それがすごく悲しいことのように思えた――…あぁ。おだやかな、夢のように。昔、まだやさしかった頃のあの人が、頭のはしに浮かんでは消えていく。
 やっぱりわたし、好きだったな。
 目を食べられる直前、誰かがケーキを箱から出して、闇の奥へ放り投げた。
 光がざあっと粉々に散り、まるで夏の花火のように、輝いて消えた。