■ ハリッサランプ ■
■ 1 悪魔のランプ ■
金持ちの叔父さんが入院したらしい。
かなり悪いらしく、会えるうちに会っておけと父親から電話が来た。用件を言うだけ言ってブツ切りされ、1人暮らしのボロアパート内は一瞬シンとした。
床に散らばったゴミの中から上着を拾い上げる。そのポケットから財布を出してみるも、小銭ばかり。俺はため息をつき、徒歩で中央病院に向かった。
国道沿いにある中央病院は巨大で、案内表記は複雑だ。受付の人に訊いたら、15階にある特別個室に案内された。
部屋の扉は自動ドアで、スーッと音もなく開いた先にはちいさな洗面所。そこを抜けるとキングサイズのベッドがあった。ベッドは背もたれが上がる高級なやつで、叔父さんは横になりながらも少しだけ背を起こしていた。
「……カズ坊。よく来たなぁ」
叔父さんは顔をほころばせて、俺が差し出したコンビニの袋を受け取った。中身はうまい棒2本。今の所持金じゃこれが限界だった。
恥ずかしくなり、病室をぐるりと見渡す。
ベッドの横にあるナースコールボタン。吊り下げられた点滴。向こうの壁に取り付けられた超巨大テレビ。来客用の革張り高級ソファとガラスのテーブル。その上に置かれたライターと、小さなランプ。
ランプは丸い形にふくらんでいて、エキゾチックな赤い文様が描かれている。文様の隙間からは、中のロウソクが見え隠れする……。
「あのランプが気になるか?」
叔父さんの言葉に驚いて、思わず変な声をあげてしまった。気まずさに、ハハハと乾いた笑いを続けて頭を掻く。
「カズ坊。実はな、」
叔父さんは急に身を乗り出し、小声でこう囁いた。
「あのランプには悪魔が宿っていてな……。入院したのも、全部悪魔の仕業なんだよ……」
★
叔父さんは20代の頃、バックパッカーだった。
アルバイトで稼いだ金で単身海外に渡り、数週間から数か月のあいだ旅をする。金が無くなれば日本に戻り、またアルバイトで稼ぎ海外へ、ということ繰り返していた。
モロッコのマラケシュという都市に行った時の事だった。
そこの広場では市(いち)が立っており、毎日毎日、朝から晩まで商人やら売人やら観光客やら地元民やらでごったがえしていた。
広場はおそろしく大きく、まるで巨大な迷路のようだった。簡易な屋根だけのテントがどこまでも連なる通路。まるで屋内かと思うような場所もあれば、テントをはらずに青空の下で展開している売り場もあった。
大きな平皿に美しく盛りつけられた香辛料。買っても買ってもあり余る量のドライフルーツ。縄で繋がれた数十頭の羊たち、人ごみの中、革袋とブリキのコップを下げた水売りが通りすぎる……。
おおよそ日本では見ない光景に叔父さんはひどく興奮した。
とはいえ、バックパッカーとしては「いかにお金を使わず長期滞在できるか」が課題だ。店から店へ歩きながらも叔父さんは何も買わず、雰囲気だけを満喫してホテルに戻るつもりだった。
太陽が沈んで空が紫色に染まる頃。
ふと通りかかったテントの前が急に明るくなる。
ランプ屋だ。
多種多様なランプが所狭しと並べられ、吊るされ、それぞれが幻想的な光を放っている。
思わず立ち止まった叔父さんが見惚れていると、軒先の椅子に座っていた店主が腰をあげた。
模様がついたターバンを巻き直し、豊かなひげをなでつけた店主は、叔父さんに親しげに話しかけ、にこやかな様子で茶と菓子を出してくれた。それが商談の前振りだと気づかなかった叔父さんは、うっかり差し出された茶と菓子を食べてしまったのだ。
ハッとした時にはもう遅い。
店主は数あるランプの中からひとつひとつ選び指をさしては、おそらくそのランプの良さを地元の言語で語りはじめた。
叔父さんは、つたない英語で「言葉が分からない」と訴えたが、店主は店の外に出たかと思うとすぐに、英語が話せるという少年を連れて戻ってきた。
叔父さんは英語でひたすら「要らない」「お金がない」「帰らせてくれ」「悪かった」と言い続ける。
しかし店主はさりげなく叔父さんを店の奥まで誘導していて、出口は店主と通訳少年にふさがれている。何か買わなければ絶対に出られないという雰囲気だった。
押し問答はかなり長い時間続き、双方が疲れてきたころ、店主は思いついたように手を叩いた。紐で束になっているランプたちを押しのけ、裏側をゴソゴソと漁り、小さな赤いランプを取り出した。
それこそが、いま病室のガラステーブルに置かれているランプだ。
『――これは悪魔のランプです』
通訳の少年は言った。
このランプには悪魔が棲んでいて、持主の寿命とひきかえに金を出してくれる。差し出す寿命と手に入る金額は比例しており、長期の寿命を出せば出すほど大金持ちになれるのだという。
かつてランプはこの店から幾人もの手に渡った。
しかし、手に入れた人々は次々と死んでいった。欲望におぼれた結果、寿命を使い切るのだ。死後は遺族らの手により、感謝の言葉と共にこの店に舞い戻ってくるのだという。
だが。
大金を持っているはずなのにランプをひとつも買おうとしない守銭奴の日本人であれば、下手にこのランプに大金を願う事はしないだろう。
格安で譲ってやる。
なんなら、いま簡単に願えば、このランプを譲るぶんの金はすぐに工面できるだろう。それをもってこのランプに悪魔が棲んでいることを証明してやる、と。
叔父さんは、光が乱反射する店内の幻想的な雰囲気にのまれ、信じてみようという気になった。
持たされた、丸くて赤いランプのロウソクに火をつけ
「寿命を1日ぶん差し出します」
と叔父さんはランプに向かって言った。
直後。
ロウソクの炎がフッと消えた。
同時に、急に店内に風が吹きこみ、どこからか飛んできた1,000ディルハム札が1枚、叔父さんの足元に滑り込んできた――。