■ 廃墟コレクター ■

■ 1 廃墟の錯覚 ■

 地図と照らし合わせて、胸ポケットから取り出した懐中時計を眺める。
 今は一時過ぎ。
 やはりここは、目的の場所ではなかった。
 コレクターの家へは、このだだっぴろい平野――地図には一本の線しか描かれていない――をつき進み、唯一のT字路を右に曲がり、またさらに進んで、地図の上の、そう、この、北にあるラヴンコディー渓谷の手前の村まで行かなければならなかった。
 管理課のブラウズに、ヘリをチャーターしてもらえばよかったと舌打ちする。
 休日も兼ねてバイクで、というのがそもそもの間違いだ。
 縮尺ぶんを指でコンパス。
 出立時間から計算すると、やはりここはまだ最初の平野の一本道で、しかも、この道にはひとつの村もないハズだった。
 ハズ、ね。
 バイクのエンジンを停め、重く引きずりながら見る。
 落ち葉が溜まりきって、シミの様になっているコンクリート。錆びた公園の遊具。蔦のからまったマンション。ボロボロに千切れた、店頭のパラソル。
 噂に聞く廃墟コレクターのコレクションのひとつ、と僕は位置づけた。
 ここには。
 きっとむかし、町があった。
 そう。
 地図から名前を消された。かつての。
 昼だというのに、周囲はおそろしく冷え、また、湿っている。歩きながら、カラスの声にビクリと肩をふるわせた。
 単に「人」が居ないだけなら綺麗だ。けれど、そこに「居るはずの人」が居ないという事。
 欠落。
 失速。
「…誰か……」
 そのあとは続かなかった。
 生温かい風が吹いて、ゾ、と、背中をなでつける。
 気味が悪い。
 バイクのエンジンを早々にかけた。
 もう、通り過ぎたい。
 ミスター、ジョーンズ氏は資産家で、ついでにいうと悪い意味で有名な廃墟コレクターだった。
 彼がコレクションしたために、近代化が進む市街地で、誰も住んでいない昔の廃屋の赤レンガや腐りかけた木の板が目障りなのは言うまでもないし。
 老朽化でいきなり廃屋がつぶれたこともあった。あの時はさすがのマリーン女史も頭をかかえたっけ。
 人々からも感謝されていなかった。
 廃村になりそうなら、その村の土地を権利ごと買い取ってあとは一切手をつけなかった。復興とか、そういう目的じゃあないからタチが悪い。村人たちは不満を言いながらもそれなりの金を渡され、一人、また一人と減っていきー…。
 緩慢に、存在を、消去される。
 おそらくその後、氏は、誰も居なくなった部分だけを愛するのだ。
 狂っている。
 僕がこれから向かう渓谷の村も、そういったいきさつで廃村になった場所だと思うと、くらくらした。地図に載っていたのは幸いだ。ただし、この地図は発行からもう十年が経過している。
 最初の目的地であるT字路に出るまで、僕は。
 何度も廃墟を目にした。
 村だったものもあれば、どこかからそっくりそのまま移してきたのであろう病院風の廃墟、工場にも見える無機質なバンガローの列、捨て置かれた年代物の車も数多くあった。
 どれもこれもコレクションなのだろう。
 この土地は私有地じゃない。ただ、壊す金が惜しい、つまらない上の連中の肩を、ジョーンズ氏が叩いたという事、か。
 ちらりと横目にバイクを走らせる。朝、モーテルから出た時は満タンに近かったガスが少し……、減っている。
 それだけのことなのに、やけに気になった。
 ほら。
 また廃村だ。
 走り抜ける。
 誰も居ない。
 錯覚に陥る。
 世界で。
 ここで、生きているのは僕だけだという錯覚。
 果てを。
 理性で対抗する。
 まさか。
 そんな事はない。
 口うるさい黒人のブラウズ。
 美しいカナダ人のマリーン女史。
 けれど、携帯電話のアンテナを立ててみても、画面には「圏外」というマークしか出てこなかった。
「あぁ! シット、神よ!!」
 叫んでみたけれど、もう動物の気配さえない――…。
 ようやく直線が途切れ、道が左右に分かれた。T字路。それも、人ひとり居ない街中だ。
 仕方なく、僕はバイクを停めた。
 地図の嘘にはもう慣れた。道が描いてあるだけ良しとしよう。疲れた。丁度、渓谷への案内板のようなものの下にベンチがあったから、埃も気にせず腰かけた。
 見上げる。
 看板は色褪せていて、文字や絵すらまったく読むことができなかった。
 右に行けばいいんだっけ。
 首をかたむけても、廃墟の湿った臭いしかない。建物はある地点からぶつりと途切れていて、しばらく進めばまたのんびりとした平野になるであろう予感を抱かせた。
 左を向く。
 こちらは大通りといった風情で、道幅が急に広くなっている。その向こう、高いビルに半ばさえぎられるかたちで観覧車が見えた。
 きっとここが廃れる前は、大きなショッピングモールかなにかになっていたのだろう。
 雲が、出てきた。

■ 2 廃墟の幻覚 ■

 小さく。
 ゆすられて気がついた。
 あれ……、いつの間に。
 おかしいな?
 少し。
 うとうとしてしまったようだ。
「ダメよ、こんなトコロで寝てちゃ」
 薄目をあけると、金色の髪にリボンを結んだ少女が、僕のヒザに手を置きながら笑っていた。
 よくわからない寝起きの頭で「それはどうもありがとう」と言うと、彼女は鈴のような声で笑いながら道の向こうまで駆けて行った。そこには母親らしき女たちと数人の子供が立っていて、少女の細い足は疑いもなく輪の中へと入る。
 幸せな集団が、モールへと歩いて行く。
 観覧車がゆっくりと動いていた。
 ぼんやりと見送りながら、僕は行き交う人々の雑談や、車の音を聞いた。緑は鮮やかで、壁や道は白く輝いている。
 やさしい風景だった。
 つんと、懐かしい気持ちになって、寝起きの生理現象だからという言い訳を心の中でしてから、まぶたのはしについた涙、を、ぬぐ、った。
 と、
「――え?」
 全ては消えていた。
 しんと。
 冷える。廃墟、ばかりが。
 覚束ない足取りでバイクにまたがり、グリップを握るとそれでも目が冴えてきた。走り出す。
 いまのは何だったんだ? 夢?
 後ろをふりかえる。
 観覧車はおろか建物ですら灰色で止まっている。僕は、このことをひとまず脳内の検案事項の外側に置いた。

     ☆

 ジョーンズ氏は、やはり廃村となった場所に一人で住んでいた。笑顔で出迎えてくれた老人は思ったよりも気さくな感じで、お互い、すぐに打ち解けた。
 氏がいうには、こんな辺鄙なところまで来てくれる人物こそ、真摯にもてなすべきだという。そんなわけで、氏がみずから手料理をふるまってくれた。美味い。三ツ星級だ。
 クラシックレコードが流れる中、晩餐のグラスをかたむける。
「電話なんぞ、なくていいわい」
 というのが氏の言い分だった。
 週に一度、定期的に来るヘリコプターが食糧やなんかを運んでくれるのだという。まだ死は恐れていないらしい。融資やなんかは、有能な秘書にまかせているのだとか。時には氏は、ヘリに乗って中央まで行くこともある。だが、それでは本当のことは見えてこないと彼は語った。
 僕は。
 不動産の取引を持ちかけにココまで来たというのに、すっかり老人の聞き役になってしまった。
 廃村の魅力ばかり話されると覚悟していたけれど、そんなことはない。
 氏の話はどれも面白く、特に、無名の画家であるアルマッジという若者が、婚約者のために氏の所有する廃屋に忍び込んだ、というくだりは最高だった。
 廃屋の絵を描くとばかりに思って、ひそかに見守っていたジョーンズ氏の秘書が見たのは、なんと、元宝石店であったその廃屋で、宝石が落ちていないか必死に床とにらめっこしている若者の姿だったのだ。
 ひとしきり笑いころげた後で、ビルは――ウィリアム・T・ジョーンズ氏は会って一時間もしないうちに、僕にビルと呼んでくれてかまわない、と言った。ビルはウィリアムの略称で、ここまで親しみをこめてくれたことを僕は半ば感激しながら受け取った。奇異な面があるとはいえ、彼は本当にかなりの資産家で、僕の知り合いにこれほどの人は居なかった――本棚に立てかけてあった写真を、僕の前に持ってきた。
 あのT字路は意地が悪いですよ、まさか廃墟の街の中にあるなんて、と、ちゃかして言った直後だった。
 写真には少女が写っている。
 それ、は。
 うたた寝していた僕をゆすり起こした少女の写真だった。そのまま、あの高い声すら切り取ってきたような。
 息を、つめた。
 青ざめていたに違いない。
 その様子を見た老人は、確信を持って僕に言った。
「君が見たのは類まれなる才能によるものだ。君を、私の部下として直接雇いたい」
 少女が誰なのか、聞く由もなかった。なぜならあのT字路は、本当は、ただの平野の広々とした場所にあるのだから。帰りに行ってみればわかるだろう、とビルは言った。
 コレクターには垂涎の。
 移動する、幻の廃墟街。
 ビルは恋焦がれた。その幻を実際に見た廃墟コレクター達は、みんな既に天国へ召されてしまっている。幼い頃に聞いた、その話を今の今まで信じていたとは我ながら滑稽だが、まさに、今。
 報われた。と。
 老人はつぶやいた。
 金にものをいわせ、廃墟の街を手に入れた。一時は満たされた。
 けれど。
 単に「人」が居ないだけなら、ビルにだって造りだせる。満たされはしたが、そこは幻の街ではなかった。違ったのだ。なんたってあの街には――、「居ないはずの人」が、居る。
 眩暈がした。
 飲みすぎたのだ。
 額に手をあててうつむく僕の向かいで、ビルが泣いている。
 やっとのことで、呂律のまわらない口で、今の職場が気に入っているんですと言うと、老人は、たまに遊びに来てくれないかと言った。
 お願いだ。
 また、あの一本道を通ってみてはくれないか。お礼に君の商談を、君の有利なように受けよう。
「あの子は……、可愛かったかい?」
 僕は、独りで廃墟を愛し続ける哀れな老人に、かすれた音でこたえた。
「ピンクのリボンでした……」